スキルス胃がんの患者さんと家族への支援活動を行う認定NPO法人「希望の会」の理事長 轟浩美さん。この会の創設者は、今は亡き夫の轟哲也さんです。哲也さんは余命数ヶ月のスキルス胃がんと告知されながらも希望を捨てずに治療を続け、2年8ヶ月ほど後の2016年8月まで命をつなぎました。その中で行われたスキルス胃がんの患者同士の交流から、この会が生まれました。後編では、「希望の会」設立に向けた思いや経緯、そして現在の理事長である浩美さんの「医療業界との橋渡し役」としての仕事や今後の展望について伺いました。
Profile 希望の会 理事長 轟 浩美さん
東京都出身。お茶の水女子大学児童学科卒業。スキルス胃がんでこの世を去ったご主人が闘病中に設立した「希望の会」の理事長に故人の遺志を引き継ぎ就任。以来、がん患者とその家族を支える活動を行うとともに、社会全体へのがん啓発にも力を入れている。
厚生労働省がん対策推進協議会の元委員や、人生会議国民向け普及啓発事業検討会委員などを歴任。「知ることは力になる」をモットーに、がんに関する情報提供と意識向上に積極的に取り組んでいる。
病状の近しい仲間を求めた夫の思いが、難治性がん患者の声を国に届けることになった
Q.「希望の会」を設立されたきっかけを教えてください。
初代理事長である夫が、抗がん剤治療で少しずつ延命できそうだと希望が出てきたときに、彼自身が考え始めたのが「この悔しい思いを無駄にせず、自分が経験したことや知り得たことを伝えて、誰かの力になるようにしたい」ということでした。それで人生の最後の時間をかけて、患者会を作ることとなったのです。ちょうど私が仕事から離れて、手伝える状態だったのも背中を押したでしょう。
具体的には、ブログが出発点でした。それまで私は知らなかったのですが、夫はがん患者になってから自分なりにいろいろ調べて、スキルス胃がんの方が書いているブログを見つけ、直接連絡を取るようになっていたのです。夫としては、同じスキルス胃がんの方と話がしたかっただけで、コミュニティのように始まったことでしたが、それを聞いた夫の親友が共感して、やるなら信頼のおける団体にしようといってNPO法人の設立を準備してくれたのです。
ですから、患者同士でつながり始めたのが2014年秋ごろで、徐々に患者会のような輪ができていき、2015年3月にNPO法人として希望の会を設立しました。患者だけでは体調も不安なので、オフ会などには家族も参加しましたし、情報を求める家族だけが参加するケースもありました。
Q. マスコミにもかなり注目されたようですが、それはなぜでしょうか。
がん種の影響が大きかったのだと思います。消化器がんというのは、手術で切除できれば寛解を目指せます。そのため、術後の障害や生活に関するコミュニティはあったのですが、胃がんや大腸がん、食道がんに苦しむ人の患者会というのはなかなかできなかったのです。そのため、「希望の会」ができたときに、消化器がんでは2番目の患者会であり、一気に注目を浴びたのです(1番目はすい臓がんの「パンキャンジャパン」:米国NPOの日本支部として2006年に設立)。
また、時代の流れもありました。日本ではちょうど2006年に施行された「がん対策基本法」の改正案について、国会審議が始まったところでした。「がん対策基本法」では、がん対策のための国や地方自治体の責務が明示され、これに沿って全国どこの地域でも同じレベルの医療が受けられる環境整備が行われています。つまり、患者が受けられるがん治療の内容に関わるような重要な法律です。その改正に向けて、スキルス胃がんなどの難治性がんと希少がん、小児がんの3つに関して、患者の声が届いていないために対策が置き去りになっているという政策提言活動が行われていたタイミングでした。また、私自身もスキルス胃がんのような、標準治療が確立していないがんがあるなんて当事者となるまでは知らなかったため、未来の人たちがこのような思いをしなくて済むよう、国が力を入れてほしいと考え、それが報道に載ったりもして注目されることとなりました。
すべてのがん患者・家族が納得して治療法を選択し、安心して生きられる社会に
Q. 現在の「希望の会」の活動について教えてください。
大きく3つの柱があります。まず、がん治療の選択肢を、日本にいる誰もが格差なく知ることができ、納得して選択できるための情報発信です。2つ目は、未来の命につながる研究の推進で、臨床試験や治験について医療者と共に考え、患者の目線で同意説明文などをチェックしたり、委員会で意見を述べたりしています。3つ目はロビー活動で、がん対策推進協議会などでも政策提言や発言を行っています。病気になって本人がうろたえても、周りがサポートして安心してもらえるような社会作り、制度作りが目標です。
心がけているのは、医療業界とがん患者・家族との橋渡し役だということですね。また、スキルス胃がんの遺族としてではなく、すべてのがん患者と家族を代表していると考えています。ですから、胃がん以外のがん種についてや、AYA世代や小児、高齢者のがんについてなど、幅広く知識を得るために学会に足を運んだり、厚生労働省の会議を傍聴したりして常に学んできました。感情論ではなく、科学的根拠をもって発言をしなければと意識しています。
ピアサポートを中心に始まった会ではありますが、目指したいのは、患者や一般市民と医療者との知識の差、情報の非対称性をなるべく解消することなのです。私自身も、夫が告知を受けたときには、電子カルテばかり見ている医師の態度を不安に思い、治療についても民間療法を含め、いろいろな情報に惑わされてしまいました。そうならないよう、医療者が分かりやすく説明ができ、患者や家族も遠慮せずに質問ができるような環境を作りたいですね。シェアード・ ディシジョン・ メーキング(SDM)がその1つの形だと思います。
Q. 今後、力を入れていきたいことはありますか。
実は最近、2つの大きなことが形にでき、ひと段落ついたと思っているんです。
1つ目は、『患者さんのための胃がん治療ガイドライン』が19年ぶりに改訂できたこと。最新のエビデンスを反映させるとともに、患者団体として意見を述べ、医師向けの「胃癌治療ガイドライン」の内容を患者に分かりやすく、平易な言葉で説明してもらったり、患者が疑問に感じることへのQ&Aを設けてもらったりしました。
もう1つは、「患者市民参画のためのe-learning」を作成できたことです。
患者市民参画(PPI:Patient and Public Involvement)とは、患者やその家族、市民の経験や知見、思いを積極的に将来の治療やケアの研究開発、医療の運営に活かしていこうとする取り組みです。このeラーニングはまさに「希望の会」の活動の集大成といえるもので、これから多くの人にシェアしていただきたいと考えています。
そうして私自身では、このがんにまつわる活動が次の段階を迎えています。コロナ禍を機に、海外のがん患者団体などと広くつながりができたのですが、文化や生活、医療制度が違っていても、胃がんを治せる病気にしたいという思いは1つだと改めて感じました。そこで国際団体を作る活動に参画しています。互いのコンテンツや情報をシェアし合うことで、地球上でも胃がんに関する情報格差を減らしていきたいのです。消化器がんの多いアジアにおいて、日本の胃がん治療は世界のトップレベルを誇りますし、SDMについては海外が進んでおり、学ぶべき点が多いと感じています。
Q. 最後に、治療法を探しているがん患者やその家族に対してメッセージをお願いします。
この10年で、がん治療のパラダイムシフト(革新的な変化)が起きました。免疫チェックポイント阻害薬のような新薬やゲノム治療など、さまざまなアプローチで新しい治療法が生まれています。そのように、病気と闘うのは患者やその家族ではなく医療者なので、皆さまは治療することで疲弊してしまうことなく日々を生きてください。そのうちに新薬や新しい治療法が生まれてくる可能性は大いにあるのです。
また、治療は生活の質を向上させるために行うものでもあります。そのために、医師だけでなく多様な専門職をも、ぜひ頼ってください。そのなかでは、公的支援や福祉サービスなどを紹介されたりもするでしょうし、がん経験者のためのがん保険なども、生きる日々を支えてくれるでしょう。そうして人生をより豊かなもの、納得できるものにしてほしいですね。
取材協力:希望の会