【立花理佐さん 直腸がんインタビュー】前編 「人工肛門はイヤです!」と毎日泣いていました

2026.09.10

【立花理佐さん 直腸がんインタビュー】前編

タレントで女優の立花理佐さんは2020年、直腸にがんが見つかりました。痛みなどの症状が出ていたにもかかわらず、検査をせず、進行してしまったと言います。「人工肛門にならないためなら、どんな治療でもします」と言って始まった立花さんの直腸がんとの闘いを聞きました。

立花理佐(たちばなりさ)さん

プロフィール

1971年10月19日生まれ、大阪府出身。1986年に「第1回ロッテCMアイドルは君だ!コンテスト」でグランプリを獲得。TBS系ドラマ「毎度おさわがせしますIII」の主役に抜擢され、新人アイドルとして脚光を浴びる。同番組の後期主題歌「疑問」で歌手デビュー、オリコン週間チャート初登場で2位となる。第29回レコード大賞で最優秀新人賞を獲得。80年代後半を代表するトップアイドル。90年代からは女優として、舞台や映画に出演。

現在は80年代のアイドル仲間、西村知美、我妻佳代、仁藤優子とともに「みらくるびーんず」としてライブイベントを行う。さらにイベントで披露した「ときめきダイアリー 〜私たちの青春〜」が9/18から配信開始(https://big-up.style/avFjttVKUg)。

2000年に結婚、2004年に長男を出産。2020年に直腸がんと診断され、子宮などの摘出手術を行った。

取材・文/増田美加(女性医療ジャーナリスト)

痛みや出血という自覚症状が…

立花理佐さんにがんが見つかったのは2020年5月のことです。以前から痛み、出血などの自覚症状が出ていたにもかかわらず、なかなか病院に行く決心がつきませんでした。

「その年の2月ころには、突然の便意に襲われトイレに行っても出ない…。気づいたら、外出先でトイレがないと不安で緊張する状態になっていました。そのころ、フラダンスが大好きだったのですが、発表会の本番直前で急にトイレに行きたくなって、出遅れてしまいました。それからは、踊っていてもすぐにトイレに行きたくなるので、休むことが多くなり、あんなに大好きなフラダンスだったのに、そのままやめてしまいました。

たまに血便もあったんです。でも、腟からの不正出血か、痔かなと気にしてなくて…。そのうちに立っていても座っていても痛みが我慢できなくなり、市販の鎮痛剤を飲み続けるようになりました。5月には痛みのレベルがそれまでより一段強くなり、コロナ禍でちょうど夫が家にいたこともあり、「一緒に病院に行こう」と声をかけてくれました。ふだん、診ていただいている婦人科の先生に、女性の医師がいる肛門科のクリニックを紹介してもらい、受診したんです」

肛門科の医師は、診察した途端、顔色が変わり、「今すぐ検査していい?」と言って、肛門入り口にある組織を取ったそうです。そのときには、自分で肛門を指で触れるとしこりが当たるほどになっていました。

「がんです」と言われても自分のこととは思えず

「通常、内視鏡検査は事前に下剤を飲んで、その日にはすぐに行わないと思うのですが、すぐにその場で取って、1週間後くらいに検査結果が出ました。クリニックを受診すると、すぐに「がんです」と告げられました。夫は診察室の外にいて、私が一人で先生の話を聞いていた感じです。結果を聞いたときはキョトンとして、「そうなんですか…」と自分のことだとは思えませんでした」

立花さんはその場で、がんの治療ができる大学病院を紹介され、すぐに受診の予約も入れてもらえました。

仕事の調整が大変だったのでは、と想像しますが、当時はコロナ禍で仕事ができない時期でもありました。立花さんが悩んだのは息子さんへの伝え方でした。ところが「ママ、がんだって!」とゲームをしていた息子さんに向かって、夫が話してしまったそう。

「私の口から伝えたかったのに…と思いましたが、さらっと話したほうがよかったのかもしれません。担任の先生からは、「お母さんのがんとコロナ禍で大変な時期ですが、息子さんは明るく頑張っているので安心してください」と言ってもらえて、ホッとしました」

人工肛門以外ならどんな治療でも受けます!

すぐに、紹介してもらった大学病院を受診した立花さんは、最初の受診で医師から「検査を前倒ししましょう」と言われ、「そんなに悪いんですか?」と尋ねましたが、答えてもらえませんでした。

予約を前倒しして行った内視鏡、PET、血液検査などの結果、がんは大きく直腸近くにあることがわかりました。さらに、子宮にも広がっていて、リンパ節にも転移。直腸がんのステージⅢbと説明を受けます。

「がんの治療方針の説明を受けたとき、「人工肛門以外ならどんな治療でもなんでもやります!」と元気よく言ったら、そこにいらした複数の先生が固まっているのがわかりました。先生から「実は、がんは肛門近くにあるので、人工肛門にすることになります」と言われ、涙があふれ出ました。夫と一緒に聞いていたのに、夫はなぜか私の少し後ろにいて、私一人で先生たちと向き合う感じになって。再度、先生から「人工肛門にしてください」と言われましたが、「イヤです!」と泣きながら答えたのを覚えています」

結局、医師からは「わかりました。いろいろ調べてみます」と言われ、そのときの面談はそれで終わりになりました。 次回の面談で医師から、「まずは錠剤の抗がん剤を服用しながら、ほぼ毎日通院して放射線治療を行う」という提案がありました。「抗がん剤と放射線治療を組み合わせることでがんが小さくなり、人工肛門を回避できた例がアメリカでありました。でもこの治療を行っても人工肛門を絶対回避できるわけではありません。治療は大変ですよ。やってみますか?」と医師。

治療を頑張ったのは人工肛門回避のため

立花さんは即、「やります!」と答えます。

コロナ禍で、立花さんの闘病生活が始まりました。家で抗がん剤を服用して、毎日のように病院に放射線治療に通う日々。

「真夏だったのでノースリーブのワンピースを着て、これで人工肛門を回避できる、とルンルンで通院したのを覚えています。放射線治療の待合室で、乳がんの放射線治療に通っている方と仲良くなっておしゃべりしたりして、前向きでした」

抗がん剤の副作用は、脱毛などはなく、手指のしびれと冷たいものを触るのが少し敏感になったと思った程度だったそうです。

「それと食欲不振もありました。でも、食事をひと口しか食べられず残そうとすると、コロナ禍で学校に行けない日々が続く高校1年の息子から、「食べないの」と心配そうに尋ねられ、それから食事は残さず食べるようになりました。息子のひと言は大きかったです。このときの抗がん剤と放射線治療は、医師の指示通り、全部行えました」 一方でお尻がただれて、痛みでトイレに行けず、鎮痛剤を処方してもらうようにもなっていました。もともと直腸にあるがんの痛みがあり、放射線治療も痛みがありました。最後のほうは、下痢っぽい水便で何度も何度もトイレに行くようになっていました。

目が覚めたら人工肛門がお腹に…

「抗がん剤と放射線治療で、がんは小さくなりました。けれども、次の治療法について、先生と何度も何度も話し合いを重ねましたが、やはり人工肛門にしなくてはならない、ということでした。診察室で先生が困るほど、ずっと泣いていました。真面目な先生で、良いことを言って期待をさせてはいけないと、「がんを再発させないためには、全部切らないといけない」とはっきり言われました。がんは私が触れるくらいの場所にありましたので、場所がいけなかったんです。それから家でも毎日毎日、ずっとひとりで泣いて過ごしました。友達に電話をして泣いたこともありました」

入院日は、2020年10月20日。前日の10月19日は立花さんの50歳の誕生日です。

「私と息子は誕生日が同じ日。家族3人で、家で夫が用意してくれたお刺身とバースデーケーキを食べました。私にとっては最後の晩餐です。入院の朝は、夫が卵焼きとご飯とお味噌汁を作ってくれましたが、喉を通りませんでした。気持ちを立て直すことができないまま入院をして、翌日10月21日が手術です」

 

腹部に4か所穴を空け、「ダビンチ」というロボットを使って、直腸のほか、子宮、卵巣、リンパ節を切除しました。がんのある恐れがあるところは全部、切除した手術でした。

「目がさめたら、人工肛門がついていました。何日間かは、便が溜まる袋(ストーマ袋)の処理は看護師さんがやってくれました。手術前にストーマ(人工肛門)外来の医師から、ストーマに必要なもの一式が入ったパッケージをいただき、説明を受けました。でも、自分のストーマを見るたびに泣きました。ずっと泣いていたと言っても大袈裟ではないと思います」

コロナ禍での入院は、1か月以上に及びました。お尻や手術をしたお腹の辺りに痛みがあり、医師から「そこは痛いわけない」と言われたところにも痛みを感じました。寝返りも、ベッドから下りるのもひと苦労で、看護師さんの介助も必要でした。

コロナ禍のため、夫には「会えないから来なくていい」と言っていましたが、毎日来てくれました。息子も付き添いで来てくれることがありました。最初はロビーで5分ほどの面会が可能でしたが、途中からはコロナの感染者が増えてしまい、それもできなくなりました。看護師さんに預けられた荷物を受け取る日々が続きます。病院内のコンビニにも、外来の患者さんがいない時間にしか行けなくなり、病棟の廊下を歩く日々でした。

「検診に行かなかった私が悪いんです。40歳になったころ、婦人科の先生から大腸内視鏡検査を受けたほうがいいと毎年、勧められていました。下剤を飲むのが面倒くさいと思って、検査を受けませんでした。きっと痔だろうと、自分に都合のいい解釈をしていました。がん検診は大切です。受けなかったことを後悔しました」と話す立花さん。

後編では、退院後の抗がん剤治療の副作用とストーマ生活についての話を詳しく語ってくださいました。また、術後3年間、家からほとんど出られなかった立花さんが立ち直ったきっかけと、みなさんへのメッセージもご紹介します。

取材を終えて

言いにくいこともたくさんお話しいただきました。取材のあいだ、何度も言葉を探しながら話してくださる立花さんの姿に、こちらも自然と背筋が伸びる思いでした。

言いにくいこともたくさんお話しいただきました。取材のあいだ、何度も言葉を探しながら話してくださる立花さんの姿に、こちらも自然と背筋が伸びる思いでした。

次回もお楽しみに!

※本記事の内容については、取材当時の個人の体験を元に構成したものです。治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではなく、当社が推奨するものでもありません。ご自身の主治医とよく話し合い、最善の治療を選択してください。

医療ジャーナリスト増田美加

取材・執筆/増田美加(女性医療ジャーナリスト) 

当事者視点に立った女性のヘルスケアや医療情報について執筆、講演を行う。 

乳がんサバイバーでもあり、がんやがん検診の啓発活動を行う。 

NPO法人「乳がん画像診断ネットワーク(BCIN)」副理事長。NPO法人「女性医療ネットワーク」理事。認定NPO法人「キャンサーネットジャパン(CNJ)」乳がん体験者コーディネーター。NPO法人「日本医学ジャーナリスト協会」会員。 

増田美加オフィシャルサイト
http://office-mikamasuda.com/

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