
立花理佐さんに、直腸がんが見つかったのが2020年。直腸のほか、子宮、卵巣、リンパ節を切除し、ストーマ(人工肛門)にする手術をして、退院したのがその年の12月。抗がん剤治療とストーマ生活が始まりました。術後3年間は、落ち込んで家からほとんど出られなかったと話す立花さん。ストーマ生活の現状と立花さんが立ち直ったきっかけについて聞きました。
立花理佐(たちばなりさ)さん

プロフィール
1971年10月19日生まれ、大阪府出身。1986年に「第1回ロッテCMアイドルは君だ!コンテスト」でグランプリを獲得。TBS系ドラマ「毎度おさわがせしますIII」の主役に抜擢され、新人アイドルとして脚光を浴びる。同番組の後期主題歌「疑問」で歌手デビュー、オリコン週間チャート初登場で2位となる。第29回レコード大賞で最優秀新人賞を獲得。80年代後半を代表するトップアイドル。90年代からは女優として、舞台や映画に出演。
現在は80年代のアイドル仲間、西村知美、我妻佳代、仁藤優子とともに「みらくるびーんず」としてライブイベントを行う。さらにイベントで披露した「ときめきダイアリー 〜私たちの青春〜」が9/18から配信開始(https://big-up.style/avFjttVKUg)。
2000年に結婚、2004年に長男を出産。2020年に直腸がんと診断され、子宮などの摘出手術を行った。
取材・文/増田美加(女性医療ジャーナリスト)
抗がん剤の副作用で、手も足も舌も喉もしびれて痛い!
手術後の抗がん剤治療が開始したのは2021年1月、お正月明けからでした。抗がん剤は、病院での点滴と錠剤の服用です。2週間服用して1週間休む、これを繰り返す毎日でした。
「副作用は、髪の毛は抜けなかったのですが、手足と喉にしびれが出ました。冷たいものに触れると、しびれというより、痛みに近い感覚です。手にはハンドクリームをたくさん塗りました。抗がん剤治療を重ねるごとに症状は強くなり、最後の方はシーツに体が触れるだけで痛かったです。手を洗うときは、水では痛みが強くて、お湯しか無理でした。足の裏の感覚も過敏で、冷たいフローリングは痛くて歩けず、スリッパを履いてやっと歩ける感じです。
冷たいものも、飲んだり食べたりはできません。でもこういうときに限って、冷たいものが飲みたくなるんですよね。炭酸飲料のCMばかり目について、氷の入った飲みものがすごくおいしそうだなと思いました。でも、実際は痛くて飲めない。舌にもしびれが出ているんです。
食事も初めのころは、お豆腐とご飯しか食べていませんでした。冷たいものは食べられないので、ほとんどお鍋でした。暖かくて味の濃いものしか食べられないせいで、どんどん太りました。術後しばらくはお尻が痛かったので、何分かしか座っていられず、立って食べていました」と当時を語る立花さん。
副作用がさらに強くなり、当初、予定していた抗がん剤の回数はできなかった立花さん。術前の抗がん剤では、つらい副作用はほとんど感じなかったそうですが、術後の抗がん剤は違いました。抗がん剤治療をしていると、気持ちが落ち込む人も少なくありません。
「私も落ち込みました。1クール目(1回目)は、「元気になるんだったら」と頑張れました。それが2クール目になると、副作用がひどくなってだんだん「つらい」に変わってきます。3クール目は恐怖に変わり、「もうやめさせてください。なぜ私はがんなのに、どんどん太っていくんですか? 普通は病気だと痩せるんじゃないんですか」とわけのわからない理屈を先生にぶつけて泣きました。抗がん剤治療が終わるたびに症状を書いて、先生のところに持って行きました。先生は副作用対策のお薬をいろいろ調べて処方してくれるのですが、先生の顔を見るたびに泣いていました」
副作用のつらさを見るに見かねた主治医から、「もうこれで抗がん剤治療は終わりにしましょう」と言われました。
「先生につらいつらいと言っていた私でしたが、先生から「もう終わりにしていいよ」と言われたら、「後悔したくないから全部やります!」って言いました。これまでのつらさが無駄になるのがイヤでした。でも先生から「後悔するのは(再発するのは)100分の1くらいの確率しかないから、副作用を考えたら、もうこれでいいですよ」と言われ、8クール行う予定の抗がん剤治療は、3クールで終了になりました」
治療中の家族の支えと治療費用
治療費用に悩んだことはありましたか?
「一人ひとり違うとは思うのですが、私の場合、治療費で車が1台買えたと夫に言われました。がん保険には入っていたのでずいぶん助かりました。治療後しばらくは、トイレットペーパー代がかさみました。また、しばらくお尻が痛かったので痛みを軽減するための座布団、ストーマを隠せる洋服に買い直す必要があったのも地味に痛い出費でした。そして、ストーマに関するアイテムは消耗品も多く定期的な出費になっています(後述)」
家族が抗がん剤治療中も支えてくれたそうですね。
「冷たいものをさわれないので、洗濯ができなかったですし、動きもスローだったので、家事は夫が全部やってくれました。入院していた1か月で夫と息子の2人の生活が出来上がっていて、夫が使いやすいように物の置かれている場所も変わっていました(笑)。
家族は優しく接してくれて本当に助かりました。お尻が痛いと言えば、低反発の敷きものや、高級なトイレットペーパーを買ってきてくれたり、それでダメならまた別のものを用意してくれたり……。
でも思うように体を動かせず、夫に家事をほとんどやってもらっていると、申し訳なさを感じ、「私なんていらないんじゃないか」と考えてしまい、だんだん孤立していく気持ちになりました。できることは、少しはやらせて欲しかったなあと贅沢な悩みです。真っ暗闇の中にポツンといるみたいで……。友達が遊びに連れ出してくれるのですが、家のことを夫に全部やらせて、友人と楽しんでいることへの罪悪感がすごくありました」
ストーマ生活でわかったこと。オストメイトマークを知って欲しい
立花さんは、「ストーマ(人工肛門)であることを隠したくない」と話します。
ストーマとは、手術によってお腹に新しく作られた、便や尿の排泄の出口のことを言います。ストーマには人工肛門以外にも、人工膀胱があります。自分の腸や尿管を直接お腹の外に出して、便や尿の新しい排泄の管理をする場所です。
腸や尿管の出口をお腹に出しますが、器具を埋め込むわけではありません。「ストーマは触ると痛くない?」「お風呂に入ってお湯が入っていかない?」と思うかもしれません。しかし、ストーマは痛みを感じる神経が無いため、触っても痛くはありません。また、ストーマの内側から外に向かって常に圧力がかかっているので、お湯が中に入ることもありません。
「当時はコロナ禍で仕事もできず、外に出られない日々でした。自分のストーマを見るたびに泣いていました。最初のころは、外出時に漏れたりしないか心配で、ストーマ袋の替えをたくさん持ち歩き、黒っぽい服を着て、汚れたときのために着替えも持ち歩いていました。ちょっと外出するだけでも、旅行に出かけるくらいの大荷物でした。今はずいぶん荷物は減りましたが、何かあったときのために写真にあるものくらいは持ち歩いています」

「術後は、ストーマの袋やベルトをつけても、着やすい洋服にすべて買い替えることが必要でした。これはウエストが太いゴムで締めつけもなく、今一番使いやすいスカートです」

立花さんが持ち歩いている装具セット(ストーマベルト、ストーマの袋、テープ、シール)。ストーマの袋は10枚入りを週に2セット程購入。その他の備品を合わせると数万円ほど。自治体によっては助成金が出る場合もあります。
「ストーマの袋は、運動すると汗で取れやすくなるため、シールを貼って止めておきます。左上の腹巻きのようなものはストーマベルトで、袋がずれないために腰に巻いています。便が皮膚につくと、かぶれたり、痛くなることもあるので、ずれないように気を配っています。テープもそのために使います。痛いと抑えて歩かなくてはならないので大変です。また、便がどのくらい出るかが自分ではわからないので、外出の1時間前には、食事を終えるようにしています。外出時に便が溜まることがあるので、替えのストーマ袋も欠かせません。これ以外に潤滑剤と水も持ち歩きます。ストーマ潤滑剤は、ストーマ装具内に注入することで便の排出をスムーズにして、臭いを抑えてくれます。それから、ショーツも悩みです。ストーマ用のショーツは種類が少なく、選べません。海外には、可愛いショーツやストーマベルトがあるそうなので、日本でもあったらいいのにと思います。女性が使いやすくて可愛いものをいつか、作ってみたいと思っています」
立花さんが外出先で“オストメイトマーク”のある多機能トイレに行ったときのことです。オストメイトとは、人工肛門や人工膀胱を持つ人のこと。
「一般の女子トイレが長蛇の列のときに、多機能トイレに私が入って出てくるのを見て、多機能トイレを使い出す人が増えて、行列ができてしまいました。私が使ったことで、みんなが「多機能トイレを使っちゃえ」って思ったのだと思います。私のせいで本当に使いたい人が使えなくなってしまって、どうしたらいいのか悩みます。オストメイトは外見だけではわからないことが多いです。やむを得ない場合以外は、必要な人のために空けておいていただけると助かります」

下段中央が多機能トイレのオストメイトマーク(増田美加撮影)。ストーマの人は、便意がないため、体の表面に装着したパウチに便が自然にたまる仕組みです。そのため、これを定期的にトイレに捨てに行ったり、表面を洗浄したりする必要があります。多機能トイレ内に大きな流し台があるのを見たことがある人もいるかと思います。
友達に背中を押され、がんを公表できたから
3年近く引きこもって、泣いている生活が続いたという立花さんが元気になったきっかけはなんだったのでしょう?
「東京の友達たちが居酒屋に誘ってくれたときのことです。みんなと話していて突然泣きたくなり、トイレで泣いていました。子どもみたいな大声でひとしきり泣きじゃくり、スッキリしたと思って席に戻ったら店中に全部聞こえていたそうです。
そのとき友達から、「理佐は今、何にもしてないから、悲しくなって泣いてばかりいるのよ。もっと外に出たほうがいい。理佐の治療経験を聞いて、元気づけられる人がたくさんいる。がん検診に行く人も増えるから、話したほうがいい。理佐のことを聞いて、実際に検診に行って見つかった友人もいるんだよ」と言われたんです」
その友達の言葉で「何か始めないと、動かないと、生活を変えないと、私が死んじゃう…」と思ったという立花さん。まず息子さんに、がんを公表してもいいかを相談したところ、当時大学1年生の息子さんは「いいよ」と即答でした。
「2023年11月、ブログにがんの体験を初めて書きました。すると驚くほどの反響で、ブログへの応援コメントもたくさんいただきました。がんの方からは「救われた」という声や、がんを経験していない方からも「頑張って」という声を本当にたくさんいただいて。事務所へは、メディアの取材依頼も数多くいただきました。みなさんからのコメントを読み、取材を受けるために外に出るようになって、どんどん自分が前向きになっていくのを感じました」
病気を公表後、元気になっていった立花さん。ストーマでは泊りでの旅行は難しいと思っていましたが、友人が誘ってくれて温泉旅行に行くこともできました。乳がんや大腸がんなどで体に傷がある人が、湯あみ着を着て入れる温泉宿を友達が探してくれて、術後初めて温泉にも入ったそうです。
また富山で開催している俳優仲間とのライブ&トークショーは、公表後すぐの2023年12月から毎年参加しており、今年の4月には杉浦幸さんを迎えて開催しました。そして、2026年8月には、80年代のアイドル仲間、西村知美さん、我妻佳代さん、仁藤優子さんと「みらくるびーんず」として、ライブイベント「昭和アイドル倶楽部~ミラクル同窓会~」でDEENの山根公路さんが作ってくれた新曲「ときめきダイアリー ~私たちの青春~」を4人で披露。
「ライブイベントの練習をしていると、病気のことを忘れていました。部活みたいで10代に戻った気分でした。衣装を決めるとき、「理佐から決めていいよ」とストーマのある私のお腹が目立たない衣装を優先して、みんながそれに合わせてくれました。みんないい友達です。がんを公表してから、温泉、ライブデビューもできて、あのときの私とはまるで別人です。
公表前の3年間は、息もできないくらい苦しくてつらかった。でも今は幸せです。“言霊”ってあるんだな、と思います。しんどい、つらいは言わなくなりました。マイナスのことを言いそうになると、いや違うと取り消します。楽しいこと、明るいことだけ考えて言葉に出して、人に会うようになりました。今は、誘ってもらったら出かけて行きます。ご飯もお酒も好きなものを食べて、飲んでいます。抗がん剤で食べられないつらさを知ったので、食べられるとき、楽しいときにたくさん食べようと思っています」

2020年がん告知から、まもなく6年。
「これから、“みらくるびーんず”で全国ツアーが出来たら嬉しい」と立花さん。「もっと歌がうまくなりたいから」とピラティスでツアーができる体力を養い、お風呂では湯船に入りながら喉のトレーニングもしています。
直腸がんのほうは、半年に1回、病院に通い、CT検査、内視鏡検査、血液検査などを行っていて、経過はすこぶる良好だそうです。
応援してくださったみなさまへのメッセージ
直腸がんを経験された立花さんから、これから検査や治療を控えている方へ、また病気と共に生きていく方へメッセージをお願いします。
「私は、家族や友達と話せたのがよかったと思っています。最初は落ち込んで人とも会えず、一人で泣いてばかりいましたが、友達と会ったら話を聞いてくれて、徐々に元気になっていきました。客観的な意見も聞けて、いろいろ考えられるようにもなりました。私も最初はそうでしたが、逆に相手のことを気遣って、がんのことを話さなかったり隠したりしていました。でも、必ずわかってくれる人はいます。話す場や聞いてもらえる場があれば、相手に甘えて聞いてもらってほしいです。
人工肛門になる手術の前に泣きながら、元アイドルの友達に電話をかけました。「人工肛門になるのがいやだ」とマイナスのことばかり繰り返していたら、彼女は「マイナスのことばかり考えないで、これから先のこと、できることを考えようよ」とそのときはきつい言葉でしたが、「確かにそうだな」と思いました。「人工肛門を見るのがいや」と言っても仕方がない、何も変わらない、それよりもこれからどうするのか、どれだけ楽しいことをしていけるのか、を考えようと思っています。
これから病気と闘う方や今闘っている方には、苦しくてもつらくても、時間をかけてでもいいから、一人でいないで、外に出て友達と会って病気のことを話せたらいいなと思います。私が病気のことを隠さずに、人に話す勇気がもてたのは、友達のおかげです。もちろん家族にも助けてって、心のうちを話せたら最高です。夫も息子もよく私の泣き言を聞いてくれました。さんざん泣きましたが、今は悲しい涙は出なくなりました。これからは楽しい涙だけです」
取材を終えて

当時を思い出して、大きな目に涙をいっぱい浮かべながら話してくださった立花さん。でも明るくて率直なお人柄のためか、つらい体験インタビューにもかかわらず、取材現場は笑顔であふれ、最後は笑い声まで起こりました。立花さんの勇気ある前向きな生き方をこれからも応援していきたいです。

取材・執筆/増田美加(女性医療ジャーナリスト)
当事者視点に立った女性のヘルスケアや医療情報について執筆、講演を行う。
乳がんサバイバーでもあり、がんやがん検診の啓発活動を行う。
NPO法人「乳がん画像診断ネットワーク(BCIN)」副理事長。NPO法人「女性医療ネットワーク」理事。認定NPO法人「キャンサーネットジャパン(CNJ)」乳がん体験者コーディネーター。NPO法人「日本医学ジャーナリスト協会」会員。
増田美加オフィシャルサイト
http://office-mikamasuda.com/
※本記事は、個人の体験談を元に構成しています。がんの症状や治療の副作用、進め方には個人差があり、特定の治療法や判断を推奨するものではありません。今後の治療方針につきましては、決して自己判断せず、主治医とよくご相談の上、ご自身が「納得できる」選択をしてください。