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浜木真紀子さん
【体験談】「日本でいちばん有名な先生を教えてください!」納得できるがん治療を求めて 浜木真紀子さん[30代 胃がん]

2024.10.03

Profile

2011年、37歳で長年続いていた胃痛の診断を受け、胃がんの疑いが発覚。翌年1月、ステージⅡbと診断され、2月にがん研有明病院で手術を受ける。4月に仕事復帰を試みるが、ダンピング症候群により断念し、自宅療養へ。2013年4月に再び仕事復帰を果たす。2020年9月には甲状腺にがんの疑いがあったが、良性と判明。現在も半年ごとに胃カメラとCT検査を受けながら、健康管理に努めている。
がんを克服し、病気になっても前向きに頑張れる気持ちを発信する、自分も周りもハッピーに導く明るい笑顔が魅力。

病名
胃がん ステージⅡb
状況
術後12年経過。現在も半年ごとに胃カメラとCT検査を受け、観察中。

「胃がんと診断されたとき、私の世界は一瞬で変わりました」。ある日突然告げられた「ステージ2b」という診断…。この記事では、浜木真紀子さんが選んだ手術と治療法、その後の生活まで、納得のいく治療を求めた彼女の闘いについてインタビューしました。

画面を見てざわつく医師たち…「まずい状況だと直感しました」

― まず、胃がんが発覚した経緯を教えてください。

浜木さん:当時の当時の私は大手損保会社にて、研修生制度を活用して独立を目指して働いていました。独立のためには求められる数字も厳しくて、毎日の食事・睡眠は不規則でストレスも溜まり「いつも胃が痛い」そんな状態でした。

ある日、たまたま仕事のアポがなくなったのでそのタイミングを利用して地元の病院を受診しました。「せっかく来たのだから、原因を知って胃の痛みをしっかり治したい」という気持ちで人生初の胃カメラをすることになります。胃カメラを入れてすぐ、画面を見ていた何人もの先生たちがざわつき始めました。それを見て「私、なんかまずいみたい…」そう思いました。

「胃がんでしょうか?」私がそう聞くと先生は「あまり良くない状況です。次回は、ご家族と一緒に来ていただけますか?」とおっしゃいました。そして2週間後、検査結果は「胃がんのステージ2b」とわかりました。

あまりにショック過ぎて、その後の記憶はほとんどありませんでした。どうやら待合室のソファに座ってずっと電話をしていたらしいです。たぶん、親などに「私、がんになっちゃった」と言ったのだと思います。車で移動したのですが、どうやって帰ったのかもよく覚えていません。ただ、その日の午後にがん保険の提案をしに行っているのはよく覚えています。お客様の前で泣きながら提案していました。

― お仕事はいつからお休みされたのですか?

検査を受けたのが年末だったこともあり、そのままひとまずお正月休みに入りました。そこから上司に相談してお休みをいただき、手術が終わって約2ヶ月後の4月1日に1次復帰しますが、胃を取ったことでダンピング症状が出やすく、すぐにお休みすることになりました。本格復帰できたのは、ダンピング症状をコントロールできるようになった1年半後くらいです。

「日本でいちばん有名な先生を紹介してください」そう聞きました

― 手術に至るまでの経緯を教えてください。

地元の病院では「お腹を切って胃を全摘出しなければいけない」と言われました。ですが、「お腹を切りたくない…体に傷を残したくない…」というのが私の願いでした。そもそも、当時の私はがん保険の提案をしながら、がんのことをあまり知りませんでした。「「2b」ってなんだろう、がんになったら相談できるところはないのだろうか?」そんな疑問を持つくらい、知識がなかったんです。そんなとき、上司から話を聞いた同業のある人から「保険のパンフレットの裏にある相談先にまずは電話してみては」と言われました。それで深夜1時、誰にも聞かれないように車に入って電話をして「日本でいちばん有名な先生を紹介してください」と言ったんです。担当してくれた方は「有名な先生と言われても…」と悩んでいましたが、「胃と大腸の手術件数が多く、成功例も多い先生ならわかります」と言ってくださいました。それが、「がん研有明病院の比企直樹先生」です。

次の日すぐに病院に電話しましたが、手術は200人待ち、セカンドオピニオンも2年待ち、ベッドも空いていないから入院できないと伝えられました。それでもなんとか食い下がって「検査データを送ってください」と言われます。 検査データを送ってすぐ、がん研有明病院から連絡が入り2月7日にセカンドオピニオンが決まりました。その日のうちにすべての検査をして、2月8日には手術までこぎつけることができました。

― 治療・手術内容について教えてください。

最終的に私が受けたのは、腹腔鏡下手術というもので、おへそから内臓を取り出して胃を切除し再び内臓を体内に戻すという手術です。地元の病院ではお腹を切るしかないと言われていましたが、お腹を切らないし、傷跡もほぼ残らないと聞いてこの手術に決めました。

― 抗がん剤などは使わなかったのですか?

胃の周りのリンパ節への転移も疑われるため、抗がん剤治療を勧められたのですが、私はしないことを選択しました。親や家族は反対していましたが…。

― なぜそうした治療・手術を選択されたのでしょうか?

自分で決めた治療なら納得できる、この気持ちが強かったのだと思います。どんなに先生が頑張ってくれても良い結果につながらないことはあります。もし、納得できない治療で悪い結果になったら…頑張ってくれた先生や勧めてくれた家族を恨むしかありません。何より、自分の意思を尊重できなかった自分自身を恨んでしまいます。それは絶対に嫌だったので、「お腹に傷を残したくない」という自分の気持ちを最優先しました。

比企直樹先生は「腹腔鏡下手術は、いまはまだ王道の手術ではないけれど、将来的には王道の手術になると思います」とおっしゃっていました。これも腹腔鏡下手術を選んだ理由の一つです。

「お願い、助けて…」辛く苦しいダンピング症状

― 術後に最も辛かったのはどのようなことでしょうか?

とにかくダンピング症状が辛かったです。生きるためには食事が必要なのはわかっていても、固形物を口に入れるとひどいめまいや発汗、動悸などの症状が出てしまっていたんです。それで食事ができず、どんどん痩せていって免疫が落ちていって…もともと50キロあった体重も160cmで30キロ台まで落ちてしまいました。手術は成功したにも関わらず、「お願いだから助けて」そう毎日思っていました。

― いまもダンピング症状で苦しい状況なのでしょうか?

いまは食事のコントロールでダンピング症状をうまく抑えるようにしています。チョコやアメなどで1時間毎にカロリーを入れて空腹状態にしないようにすることで抑えやすくなります。あとは、プルーンやビタミンを混ぜたプロテインのお団子と言うかきなこ棒のようなものを持ち歩いています。

ただ、以前と同じなのかといえばそうではありません。いろいろなお薬で未消化のものが腸に詰まらないようにしなければなりません。実は胃がない影響で、虚血性大腸炎に何回もなっていて、2回ほど救急車で運ばれています。

辛さは落ち着いたものの以前の私には戻れません。ただ、慣れてきましたし慣れていくしかないと思っています。

ホテルのアフタヌンティーを楽しむ様子

少しづつ慣れ、今では外食も楽しめるように。ホテルのアフタヌンティーを楽しむ様子。

実は、直前にがん保険を解約していました

― お金の面での悩みや困ったことなどはありましたか?

実は、胃がんだと発覚する数ヶ月前にがん保険を解約してしまっていたんです。毎月数千円だったので払うのは問題なかったのですが、「医療保険があるしいいや」程度の軽い気持ちでやめてしまいました。なので、すべて自腹で払わなければならかなったのがきつかったです。

地元の病院で言われたお腹を切る胃の全摘手術は30万円、がん研有明病院でご提案いただいた腹腔鏡下手術はその何倍もの手術費用がかかりました。さらに、通院のたびに富山から東京までの交通費と宿泊費が必要です。付添人の同伴が必要な検査もありますので、少なくとも親と2人分の費用がかかります。さらにお薬代も数万円かかりますし、術後は食事も普通の人のようにできないので、それにもお金がかかりました。

― 保険には入っておくべきということですね。

そうですね。医療保険もあったらいいですが、私個人としてはとにかくがん保険だけは入るべきだと思います。診断一時金がもらえるものなら、診断書の提出後に1週間くらいで必要なお金がもらえます。そのお金があれば、自分の納得できる手術を受けられるわけですから…。

家族との時間を大切にする健康的な生活が再発予防に

― 再発予防でなにかしていることがあれば教えてください。

とにかく痩せないこと、免疫を落とさないことが大切だと思っています。がん発覚前は食事に気を使っていませんでしたが、いまではとにかく栄養を摂ることを意識しています。あと、免疫を高めるために体温を下げないことを大切にしています。もともと私は35℃台の低体温でがんになりやすい免疫の低い状態でした。いまでは長風呂をする、ヨガ・サウナ・岩盤浴に通う、筋トレで代謝を高めるなどして、体温をなるべく上げるように意識しています。

― 健康的な生活を強く意識されているわけですね。

そうですね。あとは家族といる時間も大切にしています。実は胃がんで手術をしたのが2月8日、これは子どもの小学校の卒業式・中学校の入学式に近いタイミングでした。しかし術後で体力もなく体調もすぐれない状態だったのでどちらも参加できませんでした。部活などの付き添いもまったくできなかったので…子どもには本当に悪かったなって思っています。

そうしたこともあり、いまでは大きくなった子どもとたまにカフェ巡りをしたりしています。仕事も頑張りつつ、家族とのプライベートも大切にする。そんな当たり前で大切な時間が私の元気の素になっています。

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