今回、お話を伺ったのは、一般社団法人『がんと働く応援団』の共同代表理事を務める、吉田ゆりさんと野北まどかさんです。
がんという予期せぬ事態に直面した人が、無理なく生活と就労を両立できる社会を目指す同法人。両立支援には「当事者」「経営者や人事」「周りの社員」への三位一体のサポートや支援が必要だとお二人はいいます。
吉田ゆり
民間企業で働いていたが、育児と仕事の両立のため退職。 キャリアコンサルタントとして独立したタイミングで卵巣がんに罹患。現在は、一般社団法人『がんと働く応援団』の共同代表理事を務め、人事経験と「2級キャリアコンサルティング技能士」や「両立支援コーディネーター」「第一種衛生管理者」などの資格を活かし、がん経験者の生活・就労の両立支援にあたる。
野北まどか
転職までの有休消化中、乳がんに罹患。現在は『がんと働く応援団』の共同代表理事とともに、社会貢献活動を支援する一般社団法人「ジャパン・フィランソロピック・アドバイザリー」の理事を務める。「健康経営エキスパートアドバイザー」「乳がん体験者コーディネーター」として、がん経験者と企業、両面からサポート。
がん経験者の就労における課題は、会社と当事者の理解が深まらないこと
吉田ゆり(以下、吉田):私と野北は、2019年の春、認定NPO法人キャンサーネットジャパンが開催した「がんサバイバー・スピーキング・セミナー」で出会いました。このセミナーは、がんを経験された方々が実際にどのような活動をされているのか、どういった問題意識を持っているのかを共有したり、ブラッシュアップしたりするものです。
ここで、野北を含め多くの人が「罹患したときに欲しい情報にアクセスできなかった」「後から知って後悔したことがたくさんある」という経験をしていることがわかりました。私も全く同じことで悩んでいたので、経験した私たちが発信していかなければこの状況は何も変わらないと思ったんです。これが『がんと働く応援団』を設立した理由です。
野北まどか(以下、野北):私に乳がんが見つかったのは、転職が決まって、前職の有給休暇を消化しているときでした。時間もあるし人間ドッグでも……と受けてみたら、がんが見つかりました。当時は「疑い」だったのですが、転職先の最初のミーティングで「もしかしたら、がんかもしれません」と打ち明けました。その後は治療しながら仕事を続けていたのですが、ある時、転移が見つかって。この時「治療と仕事を両立しよう」という気持ちの糸がプツンと切れてしまい、退職を申し出たんです。
私の周りには治療と仕事を両立している人はいなかったので、休職して復帰するとか、傷病手当金を受けられるとか、その他の選択肢を知らないまま退職しました。がんに罹患した当時は転職してすぐということもあって、新しい仕事を覚えることに精一杯。治療の副作用もある中で、人事制度や傷病手当のことまで調べる余裕はありませんでした。
振り返ってみると、もう少し色々な選択肢があること、またそうしてもよいことを知っていれば心に余裕をもって「仕事を辞める」「辞めない」を冷静に考えられたと思います。
吉田:私は以前、企業の人事部門で働いていた経験があります。当時、がんに罹患された方から退職のご相談を受けたこともあります。その時は「がんになったのなら仕方がない」と思い、そのまま深くお話も伺わずに退職届を受理してしまいました。
怪我や別の手術で休職したいという方には、当然のように会社の休職制度をご紹介していました。「なぜ私はあのとき、がん患者さんに休職制度を紹介しなかったのだろう」と、今では後悔しています。おそらく当時の私は「深く聞いちゃいけない」「失礼にあたる」と思ったのでしょうね。他の病気や怪我にはない、がん特有の先入観やショックというのは周りの人にもあるということを、自身の失敗から学びました。
野北:当事者側も「気を遣わせてしまう」と、深く話すことをためらってしまうんですよ。周りも当事者も、がんに対してネガティブな印象を持っていて、言い出しにくいですし、聞き出しにくい。だから、お互いの理解が深まらないのです。これが、治療と仕事を両立するうえでの大きな課題です。がんになった当事者への支援だけではなく、職場の方の理解を深めること、人事や経営者の支援をすること、これは三位一体でやっていかなければなりません。
生活や治療、仕事を両立させるために必要な「仲介役」と「教育」
吉田:生活や治療、仕事を両立するには、がんになった当事者と人事、職場の人のコミュニケーションが不可欠です。しかし、自分の症状や想いを会社に伝えるのは、実は心的ハードルが高いのです。治療が終わったとしても再発の不安もありますし、自分でもこれから体調がどうなっていくかわかりません。
がんに罹患すると、それまでの価値観が大きく変わることもあります。職場に伝える前には、まず当事者の気持ちを整理することも非常に大切です。『がんと働く応援団』では、臨床心理士やキャリアカウンセラーの資格を持ったメンバーが、復職前の事前準備として、“がん患者”として職場に戻るのではなく、“がんを経験した社会人”として復帰できるよう本人の希望する働き方の明確化や、周囲に伝える情報の整理などを無償でサポートしています。
復職した当事者が職場で合理的配慮を受けられるよう、医師から職場へ患者の症状などを伝える「意見書」を渡すケースも見られます。しかし、医療の現場で使われる言葉は独特なので、一般の人は理解しにくいんですよ。たとえば、医師から「無理のない範囲での就労を配慮してください」と言われて職場の人は困ってしまいますよね。ですから、医療現場の意見を翻訳して職場に伝える“仲介役”が必要なのです。そこを、私たちが担っていきたいと考えています。
野北:「患者」としてではなく「社員」として復職するためには、準備が必要なんですよね。治療が終わってすぐに「さ、仕事頑張ろう!」という精神状態にまで持っていける方ばかりではありません。ここはやはり、他の病気や怪我とは違う部分だと思います。企業に、復職から1年程度はフォローする環境があるとありがたいです。
吉田:「見えない疾病」といわれる部分なのですが、術後は本当に身体がだるいんです。でも、職場でプライベートでネガティブなことをカミングアウトする心理的な負担は小さくありません。
がん治療と仕事を両立するための公的支援制度もありますし、独自の制度を設けている企業も少なからずあります。でも「制度としてある」だけで、使われていないケースも有ります。職場復帰できるか、生活と仕事が両立できるかは「当事者次第」というのが現状です。制度を知らない人、自分の意思を主張できない人は、両立が難しいといえます。
野北:「制度」だけでなく「正しく知ること」も重要なんです。小中学校でがん教育が始まりましたが、大人になってから学べる環境はありません。職場はもちろん、社会全体で、がんを、出産や育児、介護、生活習慣病と同様に扱っていただけると良いのではと思います。継続的なサポートや配慮が必要という面では、全て同じです。ぜひ、企業から社員の皆さんに「研修」などで正しい知識を提供していただきたいですね。
「がん防災」が両立を支援し、社員を守る
吉田:自分が、社員が、がんになってから色々なことを知ったり、体制を整えたりするのでは遅いんです。自然災害と同様に、がんも“備える”ことが大切です。
腫瘍内科医の押川勝太郎医師の監修のもと制作した『がん防災マニュアル』も、ぜひご活用いただきたいですね。いざとなった時に慌てないですむよう、現役世代に知っておいていただきたいがんの正しい知識や情報、相談窓口などをまとめた1冊です。このマニュアルを使って、自治体や医療法人、保険会社などで研修もしています。研修の中では、ロールプレイングやグループディスカッションを取り入れています。「ロープレやディスカッションを通して社内の絆が深まった」「エンゲージメントに良い効果があった」というお声もたくさんいただいています。今や10世帯あれば9世帯は、ご家族のうち誰かががんになる時代です。家族や友人、知人ががんを経験したという方も少なくありません。この研修は、社員同士が、がんを主軸にして仕事とライフイベントについて話し合うきっかけにもなります。
野北:『がん防災マニュアル』は、企業や自治体のニーズに合わせてカスタマイズもできます。すでに「神奈川県版」「横浜市版」を作らせていただいて、今、別の自治体のマニュアルも制作中です。がん支援って、自治体ごとに独自のものが用意されていたり、窓口があったりするのです。当事者やご家族、そして企業も、自分の自治体の制度や窓口を知っておいていただけるとよいのです。読後アンケートでも「自分が住んでいる自治体の情報を載せてほしい」という声は非常に多いです。
がんに罹患してから自治体の情報まで調べ上げることって、すごく難しいんです。だから“備える”ことが必要なのです。これは企業の就業規則にもいえることで「休職できる制度はあるのか?」「罹患しても働けるのか?」これを知っている社員さんはすごく少ないです。社員の皆さんに知っていただく“備え”をしなければ、いざというときに使ってもらえません。企業オリジナルの『がん防災マニュアル』があるとベストだと思っています。
吉田:ちなみに『がん防災マニュアル』ですが、お問い合わせいただければどなたにでも発送しています。その際、3冊を1セットでお渡ししているのですが、それには理由があって。
1冊はご自身やご家族のお手元に、もう1冊は目を閉じて浮かんだ大切な方へ。そして最後の1冊は、ご縁のあった企業さんにお渡しいただきたいと思っています。私たちだけでなく、皆さんと一緒にこの活動を広げていけたら嬉しいです。
野北:がん治療と復職・就労について、すでに素晴らしい制度をお持ちの企業も多くあります。だけど、それが周知されていない。これは非常にもったいないことです。「知っておく」ことが備えになります。大切な社員を守るために、制度や仕組みを作るだけでなく、ぜひ「周知」をしていただきたいです。
吉田:がんってインパクトが大きくてショッキングなことなのですが、長い目で見ればライフイベントの1つにすぎないのです。「がんになったから終わり」なのではなく、ここを起点として「できること」「やりたいこと」「チャレンジしたいこと」「それを応援してくれる人」を考えるきっかけにしていただきたいと思います。そして、できることを増やす。この視点を培っていただきたいです。そのために、私たち『がんと働く応援団」が生活と就労を両立するがん経験者と企業を繋ぎ、全力でサポートします。
※がんと働く応援団 https://www.gh-ouendan.com/